今更ですが自己紹介を。。①

 こんにちは、院長の長谷部隆嗣(ハセベタカシ)です早いもので今年ももう冬の足音が聞こえてきます。

 そんなこんなで以前は月のお休みをお知らせするコーナーでしたが、今回から不定期でブログまがいな物を掲載させて頂きます。(なるべく最低週1更新を目指します。。。)

 さて早速カテゴリを決める訳ですが、今回は自己紹介をさせていいただくのでノンジャンルでいきましょう。

 私は文京区千駄木に生まれました。今もこうしてその土地に生活している訳ですが、結婚してからはしばらくは船堀→高円寺→高円寺と何度か移り住んで娘の誕生を期にここへ帰ってきました。

 自分の経歴を語る上で、まずはこの「虹音堂」について少しお話しさせて下さい。

 この場所、ご近所の方々はみんなご存知ですが祖父が「田中施術所」という屋号で治療院をやっておりました。内装や外装、間取りまで完全にリフォームしてありますが、治療院と入り口は当時と同じ位置にあります。

 つまりは祖父母が治療院を経営している自宅の向かいに住んでいた私はそれはもうしょっちゅう祖父母の家を行ったり来たりする訳でして、当然白衣姿の祖父母をよく見る事になります。もう物心付いた頃には自然に「患者さんが来て治療をする家」だという事を理解していました。

 なので当然家業を継ぐかと思いきや、他の自営業のお宅と同じ。。ご多分に漏れず後継者になろうとはコレぽっちも思いませんでした!。イヤ・・そんな事はないな。頭の片隅ではこれっぽっちは考えていたかもな。(その辺りの心の葛藤はまたの機会に。、)

 では何を目指したかと言いますと、ミュージシャンです。

中学校にあがると同時に友人にバンド結成を持ちかけられます。それが運命の始まり。。

 長い事この音楽という魔物に取り憑かれる事になります。。。今でも呪縛が解けた訳ではありませんが。。

 そして担当していた楽器はベースでした。元々突き詰めて研究するタイプだったので弦楽器はギターをはじめ様々マスターしましたが、あくまでベーシストでした。

 この鍼灸の道に入る直前にやっていたバンドは、今はもう解散していましたが都内の大きなCDショップのいくつかにタグは残されているかもしれません。もう無いかな〜無いな。

 もちろん仕事として別に働いていた訳ですが、それでは何故音楽人生からこの鍼灸〜治療家の道へ進む事になったのか。。

 次回はその辺について詳しくお話しできるように、否必ずします!

 まあ初回はこんなところで失礼します。。治療でも初診は治療を詰め込むとドーゼオーバーといって逆に悪くなってしまうのです。。

 それでは10年近く前の映像ですが、こんな事をやっていましたとういうことでバンド時代の私の映像を添付します。どれだかわかるかな。その前にうまくリンク貼れるかしら。。

 

 

 

はり東洋治療院 虹音堂

Kouondo Acupuncture clinic  文京  千駄木

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