虹音堂45年前の姿

ああ、遂に2週も飛ばしてしまいました。。。

 もうすっかり気候は女心と秋の空です。

だんだんと陽も短くなり寂しくなりますね。

 さあ今日はタイムトラベルへご招待。

45年くらい前の虹音堂の姿を紹介します。

 何度かブログでもお話しして、特に当院へ通院されている方からは「もう100回は聞かされたよ!」とクレームがくるかもしれませんが・・・あと1回だけ。

 以前はこの場所で祖父母が治療院をやっていました。

 

もっと遠巻きな写真無いのか?という感じですが。。。

屋号は「田中治療所」。扉右に「全国療術師会会員之章」とあります。

僕自身もこの写真見て、ああ〜そういえばこんな外観だった!という感じです。

 THE昭和!という感じですね。肩車されているのは1歳になった頃のワタクシ。

今とそんなに変わらず可愛らしいです。。1973年らしいです。

 写真の人物が祖父:田中成治。ここを夫婦でやってました。開院は・・1957年位・・

当時は今と違って治療院自体が少なく繁盛していて、母も中学生の頃から手伝わされていたそうです。

 ちなみに・・内装も外装も完全リフォームしてしまいましたが、治療室の位置と出入り口は現在と同じです。

 恐らく同じ日に撮ったと思われる別アングルの写真を見てみましょう。

 先ほどの写真をもう少し左に移動します

はい、一気に古めかしくなりますが写真の隅っこに1973とありましたのでおそらく同じ日でしょう。ちなみに3歳前後の兄です。

 ここで注目すべきはその施術内容。

祖父は指圧師だったので「手技」というのがそれに該当するでしょう。

「電気」とはパルスのことでしょう。「光線」は現在も虹音堂の主力となっているコーケントーのことですね。

 そして現在は使われていない電話番号8281196。よく見ると「ヤマイニハヒトビトクロウ」


 「病には、人々 苦労」 むー。やりますな爺ちゃん。

 誰か38227268で考えて下さい。

 ちょっと治療院の中へ入ってみましょうか。

 

たぶん〜今のトイレの前辺りではないだろうかと思いますが。

時は更に1年前。白衣の祖父に抱っこされているワタクソ。今と変わらず・・もういいですね・・

 そしてこれ

  


これは待ち合い室。窓と長椅子の位置は今と全く同じですね。

この椅子は、僕が小学生になった辺りに買い替えるのですが、その椅子が未だに虹音堂の待合室にあります。そう、あの椅子がそうなのです。。。。何年モノだ!?

ちなみに画面左の藤岡琢也の様な人はまだ30歳くらいの父です。

どうでもいいですが、僕は小学校に上がるまでサッポロ一番のCMは本当に父が出ていると思っていました。

 さあて、ここでまた外に出てみます。


時は流れてワタクシの小学校入学式。母のお手製の服、ナカナカお洒落なガキです。

先程と同じ位置ですが屋号が「田中施術所」へ変更されています。

僕にとってはこちらの方が馴染みがありますね。

 母の話によると、この数年前に広告表示に関する法律に何かしら変更があり、「治療」という言葉が使えなくなったとか。

 今は使えますがね。


 他にも確か雑誌やテレビの取材を受けた時の写真や、かの有名な芹沢勝助先生が遊びに来ていた時の写真がどこかにあるはずなのですが・・・それはまた今度ということに。

はり東洋治療院 虹音堂

Kouondo Acupuncture clinic  文京  千駄木

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